創作連詩2013年 12番目の月 (no.6~)

 
 
6.

箱いっぱいの蜜柑が届くというから

箱いっぱいの空虚に囲まれているから

失くした尻尾は傷だらけの橙(だいだい)。

 

【121日(日) 早く来い】

楽天が優勝したとき、楽天で蜜柑を10キロ買ったんですが、

それを配送した旨のメールが届き、待ちわびています。

「箱いっぱいの空虚」は、目的もなく私の部屋に置かれているダンボール箱たち。

広すぎるくらいの部屋なので放置。

「失くした尻尾」は尻切れになっている色々の物事。

あと少しの詰めが面倒で、中途半端になってるのをどうにかしたいと思いつつ、

今日も無為に過ごしてしまった。

面倒ごと(=失くした尻尾)は、いつ届くか分からない蜜柑(=傷だらけの橙。安物!)へと

頭の中で置き換えられていくんです。

ここは動詞を省略して、「失くした尻尾は傷だらけだった」という解釈も可能にしてみた。

 

7.

太平洋を渡る風になり

孤独な大陸の故郷に降り立つ。

探しても見つからない。

色も形も違う果実が 同じ庭にあって

見上げた窓辺に立つ 私の空想。

 

【12月2日(月) 俯瞰願望】

蜜柑が届いた。嬉しい。箱一杯の蜜柑!

早速むいて食べた。残り少ない2013年末も健康で文化的な生活が送れそう。

蜜柑を食べると、オーストラリアはクイーンズランド州でのワーホリ生活を思い出す。

懐かしくて、いろいろ思い出してしまう。

オーストラリア大陸って、他の大陸みたく大陸同士繋がってないから「孤独な大陸」です。

まあ、南極もそうだけど。

「故郷に降り立つ」のは私の記憶。

1,2行目の一文は一言で言えば、オーストラリアを思い出した、っていうだけです。

「探しても見つからない」の対象は、私が長くお世話になった学校です。

今年いっぱいで休校、移転するのが決まっているから、こう書いた。

「色も形も違う果実」は、私が愛する蜜柑たち(安いのでかなり不揃い)ですが、

同時に、オーストラリアという国の多文化主義、人種のるつぼのメタファー(比喩)でもあります。

それが「同じ庭」にある。前の詩の「箱」⇒箱庭⇒「庭」という連想。

二年弱もオーストラリアに住んでたので、私にとってもやっぱり「庭」なんです。

で、どんどん個人的な話になっていきますが、シドニーの中心部に私のお気に入りの窓がある。

教会の庭みたいな所に面した、古いビルの窓なんですが、なんというか、それが絵になっている。

毎日そこを通るたびに、あの窓辺に立って辺りを見下ろしてみたいと思っていました。

私は窓を見上げていて、窓辺に立っている私の姿、そこからの景色を空想している。

全体としては、「孤独な大陸」という言葉を生かして「探しても見つからない」「窓辺に立つ私の空想」など

寂しい雰囲気を作る言葉を重ねてみた。

 

8.

ひび割れたレンガを手に取って

崩れた壁に戻します。 

ここに住もうと あなたが言ったから。

 

【12月3日(火) 意外と悪くない】

一度は「こりゃあ話にならん」と思って打ち捨てたものが

時間を置いて見直してみると「意外と悪くないじゃないか。むしろいいぞ」って思えることがある。

それでちょっと、過去に打ち捨てたそれを拾ってきて、いじり始めた。これから試行錯誤。

今日の詩は素直すぎるというか、なんのひねりもないようなもので、

一文目は、過去に打ち捨てたものを再びどうこうしようとしていることの比喩です。

なぜ「レンガ」を「壁」に戻すという比喩なのかは、前の詩の「窓辺」のイメージから来ている。

つまり私のお気に入りのその窓のあるビルは、見た目がレンガ造りで古くてボロいから。

三行目、「あなた」=私 という単純な連想。なぜこうしたかと言うと、

一文目のレンガを戻すという行為に、「あなた」のため というニュアンスが付加されるからです。

そうすると、読んだ人は、レンガを戻す人と「あなた」との関係を考えるともなく考えるかもしれない。

「あなたが言うから」ではなく「言ったから」と書かれているから、関係は過去のものでしょう。

過去の関係を考えるってことは、そこに至るまでの物語を考えるってことにもなり、

そうなれば読者の頭の中で想像が膨らみそう。

(そういう誘導をするためにはレンガも壁も時間の経過を感じさせるものじゃなきゃならない。

だから「ひび割れた」「崩れた」をつけた。しかしうまくいっているでしょうか……)

一言でまとめると、二文目は一文目の行為に物語性を与え、読者に想像を起こさせる。そういう意図で書いてみた。

さて。ちょっと前後したけれど、「ここ」は文脈どおり、崩れた壁のある家(かどうか分からないけど)を指す。

なので、「ここに住もう」という言葉は、打ち捨てられたものに一生懸命取り組んでいたときの私(管理人)の

意志・決意表明というわけです。

 

9.

舌の上で初恋を溶かしながら 自由に線を描く。

泉の声に耳をすまし

動き出せ。

座標平面に打ち立てた電波塔には

路地裏で産まれた南風が届く。

 

【12月4日(水) 二度目の会合】

先週水曜日に動き出したサークルの二度目の集まりがありました。

面子がひとり増えた。すごく勉強してる人。嬉しい。

今日はサークルの活動内容やら目標やら諸々を決める準備として、みんなで知識・問題などを共有。

んで、そのまま定食屋で夕飯を食べて帰ってきました。

さて、「初恋」は甘くて苦い、ということでチョコレートからの連想です。チョコ食べながらの話し合いだった。

「自由に線を描く」=話し合いをする。現在、サークルが進むべき線、というか道を想い描いているところです。

「泉の声」となっていますが、「泉」は知識・情報の連想。

つまりサークルが扱っている『フェアトレード』というものについて、よく勉強していて物知りな新参者のこと。

「座標平面」は、フェアトレードという問題に絡んでいる要素(児童労働だとか南北格差だとか環境問題だとか)の

広範さ、大きな広がりから連想。座標平面に果てはない。広い=空、宇宙 とか思いつくけれど、

一般的に場所として使わない単語を場所のように使うことで面白みを出してみた。

そこに立てるのが「電波塔」の理由は、私たちのサークルが積極的な情報の「発信者」でありたいから。

「座標平面(二次元)」と「電波塔(三次元、しかも地上という平面からひどく突き出た構造物)」は対比の関係。

また、「電波」⇒ネットワーク という連想でもあって、同じ問題に取り組む組織同士のつながりも表わせる。

そこに「路地裏で産まれた南風が届く」のは、「路地裏」=途上国、貧しい人々 の連想。

「南風」は途上国が南半球に多いことと、そこで暮らす人々の声あるいは願いなどの象徴。

 

10.

誰かの口から零れた恋歌に

切り取られて 切り取られて

廻(めぐ)る千年。

 

【12月5日(木) 寒いの嫌い】

だって痛いんだもの。暑いのは痛くないからいい。

今日は一日中研究室にこもって、機械がしゅーしゅー言ってるのを聞いてました。

帰り際、駐輪場に停めてある私の自転車のかごの中に、落ち葉。

私は入ってきちゃった落ち葉は出さない主義でして、自転車に乗るときはいつも

かごの中の落ち葉を見て独りほっこりします。

寒いのは嫌いですが、冬は素敵な季節です。たぶん一番好き。

詩を書いた発端は、「私は冬が好き」って思っただけのことです。

さらに冬⇒四季 と連想して、四季⇒季語 とか 四季⇒(一年という時間の)分割 とか

そういう感じで今日はこれを書きました。

季節が四つなのは、人間が一年を四つに分けたからに他なりません。

そこに必然的な理由はない。

春と夏の間に、この中間のどっちでもない季節を作ってもよかったけれど、人間がそうしなかった。

ただそれだけのことで、それは景色の変化がどうとか、平均気温がどうとか、我々の文化がどうとか言っても、

現在のような四分割じゃなきゃダメな理由にはならないでしょう。

我々が一年を四つの季節の組み合わせとして認識したのは、いつか。知らん。

俳句とか短歌とかを歌っている時代(奈良平安だっけ?)には、もうこのように認識されてたんでしょう。

で、ざっくりだけど「千年」という言葉、さらに「恋歌」という言葉が出てきた。

認識する、ということは、「切り取る」ということです。違いを見つけて、分けるということです。

「切り取られて」を二回重ねているのは、「千年」という言葉に続くからです。

例えば、擬音語・擬態語と呼ばれるものは、

「ちらっと見せる」=一度だけ見せる 「ちらちらと見せる」=何度も見せる のように、

同じ言葉を重ねると通常「時間的継続」やら「行為の反復」を表わす。

二回重ねることで「千年」の間に何度も切り取られた、というニュアンスを与えるはず。

最後に全体を要約すると、『昔の誰かが歌に季節の言葉を入れて歌ったそのときから、

四季は四季として認識されて、そのまま(かどうか知らないけど)千年後の私たちの時代までめぐってきました』

という意味を込めて書きました。

蛇足だけど、「恋歌」は前の詩の「初恋」からの連想であると同時に、二つ前の詩の「レンガ」に音をかけている。

 

11. 

そうして朝を迎えて 

積み上がった本に 無知の涙を刻み付ける。

遠くて近い無名の町に まどろむ憂鬱。

大人になったときにはもういない。

車輪の音が 通り過ぎるだけ。

 

【12月5日(木)~6日(金) 溜め息】

私たちが使う「言葉」というものは、使う人それぞれによってその意味の範囲やイメージ(ポジティブか、柔らかいかなど)などが

常に微妙に、時にかなり大きく異なっています。これはその人の今までの経験やら生きてきた環境による。

この事実は、非常に注意すれば一日の会話の中に何個か見出せるくらい頻繁に起こっています。

実際には、もっと頻繁に起こっていると思われますが、たいていの人はズレが起きていることさえ気づかない。

表面的にはコミュニケーションがうまくいっているように見えるからです。ズレていても深刻な問題が生じないからです。

たまたま気づいてもスルーしちゃうことだってあります。私もよくする。

同じ文化の中に生きてる日本人同士なんだから、同じ言葉は同じ意味に決まっていると、そう思っているのが私たち。

私が思っている意味で、イメージで、相手も理解してくれると、勝手にそう思って疑わない。

だけど、この常に生じている人と人との間の「言葉の意味のズレ」を認識することは、とんでもなく重要なことです。

本当の意味でのコミュニケーション、相互理解は、ここを避けては通れないと、私は考えています。

しかしこれは簡単じゃない。失敗も多い。溜め息。簡単じゃないから面白いってのもあるけれど。

さて。そろそろ詩の解説に。

書き出しの「そうして朝を迎えて」は前の詩を受けての対比です。

「廻る千年」という途方もない時間に対して、「朝を迎える」=一日が始まる わけで、つまり千年と一日が対比されている。

なぜ「一日」をこのように表現したか?

実は、深夜、私とは違うある町に住んでいでいる友達がスカイプしてきて、色々話して、会話を終えたあと

なかなか寝付けず、寝られたのが朝七時近く。そんだけです。

「積み上がった本」はまさに私の部屋の隅の状況。

「無知の涙」はスカイプの彼女がオススメしてきた書名そのままです。

これを私は、PCのデスクトップの付箋にメモした。ここから「刻み付ける」が連想された。

「刻む」は前の詩の「切る」という言葉からも連想されますよね。

詩の三行目の「遠くて近い無名の町に まどろむ憂鬱」は、言い換えれば「今頃、その友達は寝てる」となる。

で、彼女の住んでる町が若干田舎(⇒有名じゃない⇒無名)で、最寄り駅の名前に「遠」の字が入っている。

実際の距離的にも、そんなに遠くないけど気軽に行けるかというとちょっと、という距離なので。

「憂鬱」=その友達。「憂鬱だ」と言っていたから。

「大人になったときにはもういない」は、実は元々の意味は「20時には私は家にいない」です。バイトなので。

「20」⇒二十歳⇒大人になる という連想。

「無知」「無名」などの言葉が持つイメージとも合っていると思って。

詩全体のイメージとしては終末とか、寂しさとか、退廃的な感じ(前の詩とのイメージの対比)。

「車輪の音が 通り過ぎるだけ」は、バイトに向かう私の耳に絶え間なく入ってくる自動車から。

バイトに向かう管理人は自転車で夜の海岸線を疾走しているのです。

 

12.

まだ名前がなかった。

シャンデリアの下で歩き疲れ、泡に戻った。

だけどひかりは、すぐそこに。

 

【12月8日(日)~10日(火) 進展】

日曜から今日にかけては色々あって大変でした。

東京に行って研修して、帰ってきて翌日には学校のほうのプレゼン。

その他小さいこと諸々で、プレゼン終わったら「あー」って感じでぐてり。

また L と夕飯食べて、夜道を震えながら帰宅しました。

やること多数でやりたいことも多数あって、しばらく大変さが続きそう。

どんなに予定が詰め込まれようが、賢くマネジメントすれば

物理的に可能なものは可能ということで、年末を楽しもう。

さて、詩の内容は8日の研修のことになってます。

一行目は、名刺⇒名前 という連想。そのままの意味。

前の詩の「無名」から。

泊まったホテルが豪華だったので、二行目は読点までそのまま事実。

「泡」は部屋にあった泡がぶくぶく出る風呂を指している。

「ひかり」は未来。つまり来年の四月から始まる、新しい生活。そのための研修。

平仮名なのは、往復の移動手段が新幹線だから。

 

13.

私と世界をつなぐ道は

ここにはない。

あふれていく誰かの言葉。

はやく、はやくと

かばんの中から呼んでいる。

 

【12月11日(水) PS3購入!】

友達に勧められてPS3を購入しました。

前からゲーム類が何かほしいと思っていたんですが、高いし、

やり始めると他の諸々が疎かになりそうで躊躇ってました。

でも、やりたいことがあるなら時間でもお金でもマネジメントして全部やってしまえばいい、

というのが私が目指すものなので。

さて。

1~2行目は、PS3を買ったはいいがディスプレイに繋ぐコードが合わなくてできなかった、という旨。

「私と世界を繋つなぐ」=やりたかったネット対戦。そのために必要な「道」=コード がない。

「あふれていく」のは本。ブックオフとか行くと、まだ読んでないのがうちにあると分かっていても

ついつい買ってしまう。「誰かの言葉」は誰かが書いた本。

いつも一冊はかばんの中に入れて読み進めるんですが、

いかんせん、私は読むスピードが遅い。

文庫一冊すごく早くて数日、遅くて数週間。

「はやくはやく」は本に対するスミマセンの気持ち、焦燥でもある。

 

14.

いっぱいの太陽を集めて

手のひらで包む

妖精のパラシュート

 

【12月12日(木)~13日(金) トマトとアントレプレナー】

アントレプレナーってのは企業家のことらしい。

木曜は大学で開催の講演会に行ってきました。

公演者はトマトで有名な『カゴメ』の方です。

トマトの魅力、カゴメのあれこれ、起業の精神、など。

詩の内容は「トマト」の一言に尽きます。トマトを見たまま書いてみただけです。

トマト⇒赤、光合成(植物)、球形など⇒「太陽」 という連想。

「集める」を使ったは、トマトが太陽をぎゅっと濃縮しているということと、

トマトが世界で最も食べられている野菜(世界中に散らばっているようなイメージ?)

であることなどから。

「手のひらで包む」はトマトの大きさと、トマトへの愛情を表現。

「妖精のパラシュート」は、真っ赤に熟れたトマトの表面を滑り降りようという水滴。

水滴⇒透明⇒妖精。水滴⇒落ちる⇒パラシュート。

この絵が印象に残ったので。

 

15.

つぼみはゆるゆると開いて西で散る。

本を読む人が顔をあげたら

そこには静かな丘が眠っている。

グラスの中を満たすのは

昼でも夜でもない時間。

 

【12月14日(土)~15日(日)二度目の研修】

前回は東京で、今回の研修はIN名古屋でした。一泊二日。

関係の深いほかの会社さんの新人研修に飛び入り参加したような形です。

これから何度もやることになる具体的な業務を初めて練習しました。

難しいけれど、楽観主義者の私は「まあ最初はこんなもんだよね」って感じで

楽しんでやってます。

「つぼみ」=新入社員。「ゆるゆると開く」のは、まだゆっくりと成長しているイメージ。

「西で散る」=名古屋で解散してきた、ってだけです。

「本を読む人」は私。これは新幹線の中。

「静かな丘」=静岡。

どうしてこれが「眠っている」かというと、静岡に着いたとき、私は妙に懐かしい感じがしまして、

静岡を愛おしく思った。愛おしい⇒赤ちゃん⇒眠っている  という連想。

4~5行目、「昼でも夜でもない時間」はまさに私が静岡に帰ってきた時間です。お昼と夜の間、15時くらい?

で、さらに「昼でも夜でもない時間」といえば私は「たそがれ」を連想する。

たそがれはつまり昼から夜に変わる頃、夕暮れ時⇒黄色や橙色⇒梅酒。

ひとりで一杯飲んだわけです。

 

16.

骨ばったゆりかごで目を覚ます。

いつの間にか失くした半身は

ページのあいだを 宛てもなく彷徨う。

 

【12月17日(火) 時代の移り】

好きなものは何? と聞かれて好きなものを全部挙げるのは難しい。

たぶん半分も難しい。好きなものは世の中にあふれているけれど、

それが目の前にないと頭の片隅にも浮かんでこない。

ところで私は甘いものが好きで、

今日はたまたまスーパーで半額になっていた甘納豆を買ってきた。

詩の二行目は「いつの間にか半額になっている甘納豆」です。

「骨ばったゆりかご」は半額商品のカゴ。白い塗装の金属製。

白、金属⇒「骨」。「ゆりかご」は前の詩の「眠る」という言葉から。

甘納豆、大好きです。だけど好きな食べ物を聞かれたとき「甘納豆」と答えたことはない。

甘納豆はなぜか私に忘れ去られている。たぶん世間にも結構忘れ去られている気がする。

今の時代に甘納豆の大ブームを起こすのは相当難しいでしょう。

甘納豆をいくら生産してもガッポガッポ儲かるなんてことはないでしょう。

なんだか甘納豆を見ていると不憫ですが、私が死ぬまでは生産が続いてほしい。

「ページ」は、甘納豆が産まれた江戸時代⇒歴史⇒教科書(私は昔から歴史が大嫌い!)⇒「ページ」。

「宛てもなく彷徨う」のは、甘納豆の不憫さをイメージして。

 

17.

やまない雨を透かして

おかしな真実が見え隠れする。

壊れた傘を頭上にかかげ

坂道をのぼってくる

爛(ただ)れた息を吐きながら。

 

【12月18日(水) 冷たい雨】

雨。風も一時強し。

また本を買ってしまった。今積んである物は来年四月までに読了したい。

「おかしな真実」は書名から。

今日の内容はそのまんま。傘は壊れた。坂道をのぼった。

「爛れた息」は小走りで帰ってきたのと、胸の内のもやもやした感じです。

内側からかきむしりたいような。

とにかく日常はあらゆることの失敗の連続なので、一日を振り返っては嘆息するばかりです。

 

18.

故郷(ふるさと)に雪は降っているだろうか。

遺伝子の螺旋を解(ほど)く人は

銀の火葬場で朗誦する。

 

【12月19日(木) 亀と骨】

今日は研究熱心な方とお会いしました。

その方は生物屋さんで、私はちなみに樹木屋で同位体屋。

同位体っていうのは高校化学で確か習いますが、

炭素は炭素でも質量数が12,13,14とかいろいろある、そういうものです。

で、14の炭素は放射性物質なので、これで年代測定ができたりします。

例えば大昔の遺跡から出てきた人骨が、何年前の物か分かったりする。

で、その生物屋さんは亀の甲羅でこの年代測定をしてみたいとのことで、

今、私の研究室に顔を出してくれています。

なぜ亀の年代を測定するかといえば、ここから亀の分布がどうやって広がったかが

分かるかもしれないんだそうで。

日本の場合、大陸(中国)から動物が入ってきて、東北へと伝わっていくのが

割と一般的な分布の広がり方だそうです。でも、そうじゃないパターンも見出せるかも、

と期待しています。

例を挙げると、東北で300年前の亀の甲羅が見つかり、かつ関西では200年前の

亀の甲羅しか見つからなかったら。東北から関西へと亀の分布が100年かけて広がった、

というようなことが言えそうなわけです。

というわけで、詩の一行目「雪」は東北地方のイメージです。

亀の発生地(⇒故郷)は東北のほうだろうか? というような意味。

その方は遺伝子の塩基配列なんかを調べたりもしているそうで。

「解く」は解明や理解などの言葉からの連想。

遺伝子が二重螺旋構造(こいつが複製するとき解ける!)をしていることとも関連。

「火葬場」は炭素の同位体を分析する際に、サンプルを燃やして二酸化炭素にすることがあるので。

「銀」は一行目の「雪」からの連想であり、かつ私が同位体測定の準備過程で使う物質のひとつ。

燃やして二酸化炭素にする際(=火葬場)、一緒に「銀」を封入している。

「朗誦」は雄弁に研究の熱意を語る、その人の姿からの連想。

 

19.

薄汚れたジーンズから滑り落ちていった 

僕らのつながりは

前だけを見て歩くというなら

忘れ去られるだろう。

ほら 立ち止まって紅茶。

 

【12月20日(金) 紅茶の夜】

寒い寒い夜に飲むミルクティーはいいものです。

それはさておき、ジーンズの左ポケットが破れました。

もう五年は履いていて、だいぶ薄汚れてみっともない。だけどまだ履いている。

左ポケットにはケータイを入れるのが習慣。

忘れて入れるとスーッと足元に一直線です。

「僕らのつながり」はケータイ。

何かしらの電子機器でつながっていなければ愛も友情も

成立しないかのような、そんな風潮さえ感じさせる時代に思える。

三、四行目「前だけ見て歩く」とケータイを失くすことになる。

意味ありげに、単に自分へのつまらん注意。

「立ち止まって紅茶」は、私に紅茶を振舞ってくれた人の意図の言いなおし。

つまり「勉強・仕事に熱心なのはいいけど、ちょっと休憩(=立ち止まる)しようぜ」ってこと。

 

20.

羽を閉じたフクロウは 女王を想う。

七色の風が別れ 散っていく頃、

羽ばたき始める 歌わない鳥もまた。

 

【12月21日(土) さよならNSW】

私が大好きな学校が、無期限休校します。

移転もするので現地シドニーでは今日「お別れパーティー」をやっている。

卒業生としてメッセージを送り、代読してもらった。

「フクロウ」はその学校に縁のある動物。「羽を閉じる」=休校。

「女王」=クイーン(queen)=Queensland州(クイーンズランド)。学校の移転予定先。

ちなみにシドニーはNSW州(NewSouthWales;ニューサウスウェールズ)。

「七色の風」=各地からパーティーに集まっている関係者たち。

彼らが解散する頃、私が研究を終えてうちに帰る。

「歌わない鳥」=私。ちょっと風邪気味⇒喉が痛い⇒歌えない というふうに。

「羽ばたき始める」はうちに帰る意だけど、私が始めようとしている諸々のことも含めて。

 

21.

闇の中に浮かび上がる光の舟は

乞食も金持ちも みな包み込む。

懐(ふところ)に抱えた一冊の書。香るコーヒー。

はぜる炎の前で

安らかに 重ね合わせの夢を見る。

 

【12月23日(月) 書を抱えて眠る】

今日はいつもと違うバイト先。それぞれ違った雰囲気というのがいい。

新しい出会いも、自分にとって良い影響がある。

バイト先は、背の低いビルの二階にある。

横長の窓から漏れる光の描写が、一行目である。

「船」は横に長いのと、空間がある(人が乗れる、人がいる)というので。

「乞食も金持ちも みな包み込む」のは、私がその組織に期待することであり、

私自身に期待することである。

「一冊の書」は本日新たに我が家においでくださった本です。ようこそ。また増えやがって。

「コーヒー」はその本の表紙のイラスト(なのか?)から。

「はぜる炎」=暖炉⇒こたつ。愛すべきこたつ。

夢を見るのは私。読書しながらこたつの暖かさを感じ、うとうとする幸せ。

なんと贅沢な生活でしょう。いや、今日は一日忙しかったけれど。

「重ね合わせの夢」は今日読んでいた小説の内容からの連想です。

主人公が電車の窓に映った乗客と、窓の外の夕景色を重ね合わせて眺めながら、

夢想するシーンです。

なんというか、今日はほっこりしたかった。寒いから。

 

22.

膜を破って生まれ変わり、

切り絵の中に潜っていく。

もう一度、ここにいたことを思い出して。

 

【12月26日(木) 相変わらずな】

遅めの早起きをして、研究室に行って、研究して、夕方からバイトして、

帰ってきてのんびりする。そういう日々が続いている。

クリスマスもだいたいそんな感じで、何事もなく、よく言えば悠々自適、

悪く言えば寂しくつまらないクリスマスを過ごしました。

いつもと違うバイト先はやはり面白い。

新しい出会い、新しい関係、新しい取り組み。なんでも自由なのです。

詩の内容は、研究棟を出た夕暮れ時、目に飛び込んできた景色が

あまりに綺麗だったので、それを。

まさしく「切り絵」のようで、葉の一切ない黒黒とした樹木のシルエットと、

同じく黒いビル、そして山のシルエットがくっきりと。

それらの背景に、山から染み出したかのような橙があり、

それが遠くなるにつれてブルーへと変わっていく。

見事なグラデーションで、見とれました。本当に「絵」だった。

「膜を破って生まれ変わり」は、研究棟から出る、ということ。

研究棟を生物の体内に喩えている。もちろん出るのは私です。

自動ドアが開き、建物から出た瞬間、冷たい空気に触れて身が引き締まる。

「潜る」は「破る」との対比。

三行目は倒置ではなく、指示・命令・願望的な意味合いで「~して。」を使っている。

つまり、今見たこの景色を忘れるな、という自戒です。

どんな感動も、私たちは忘れる。

美しいものが見えた瞬間というのを、もっと大事にしたいものです。