創作連詩2014年 はじめの月(No.23~)
23.
私の意識は 音の渦にさらわれて
誰のためでもない 原色の光に
美しく 優しく切り刻まれる。
外気に触れて 再び輪郭は濃く
しばし立ち止まる 玉石の上。
【12月31日(火)~1月1日(水) 新年あけましておめでとうございます】
28日から帰省して、30日、31日、1日と友達と過ごしました。
30日にはすでに結婚して家庭を築いている同級生のうちにお邪魔し、
その息子さん、娘さんに会って、軽く衝撃です。
こういう現実を見せられると、同い年だということが信じられない、
奇妙な現実感の無さに包まれます。
それにしても懐かしい。変わらないところは変わらない。
それから年越しはゲーセンで、気づいたら2014年だった。
朝8時くらいまでサンマをやりながら飲んで、今年の運試し。
入りは穏やかで、少し落ちたあと、火力爆発でした。結果的にも大きくプラス。
で、うちに帰ってきてお墓参りしたり、お節を食べたりでした。
詩の内容は、ゲーセンで知らずうちに過ぎてしまった0時。
「誰のためでもない原色の光」は信号機の光。
通りに車両は少ないため「あまり役に立っていない」⇒「誰のためでもない」。
その冴え冴えとした光を見て、ああ、もう2014年か、と思う。
この「はっとさせる」感じを「切り刻む」としてみた。
私は夜の信号機が好きなのです。
光の「輪郭」がはっきりと鋭い。だから「濃い」。
「玉石」=砂利です。しばし立ち止まって夜に耳を澄ませ、
僕らは除夜の鐘の音を探した。
24.
山は深く 登るほど 遠ざかる。
あなたはいつからここに座って
手のひらを見ているのか。
【1月3日(金) 信仰は誰のために】
本日は水沢観音に行ってきました。
久々に車のハンドルを握って、伊香保のほうから山を登って、
少々車の列に並ぶことになりましたが、それほど待たずに入れました。
弟と妹は連れて来られたことがあるらしいけれど、私は初めてで、
父と母と三人で、護摩祈祷をしてもらいに。
下賎な話ですが、あれはお願い事ひとつ当たり5000円らしい。
坊さんたちが囲み、念仏?を唱える炎の中に、護摩木を置いて、
煙の中、祈って、お飾りとお神酒をもらって、帰ります。
自分のことはもちろんですが、眠れない眠れないと言う友人に
安らかな睡眠と、物事がうまくいくようにと祈ってきました。
本人以外の人に対する願いも叶えてもらえるのかな?
25.
落ち葉の上に横たわって
赤や黄で遊んで。
手でかきわけて 探して
見つけた誰かの落し物、
くすぐったい笑顔。
【1月7日(火) 論文とチョコレート】
一度書いたのに消えた。
目下の話題といえば論文とチョコレート。
26.
銀杏並木にまっさらのカンバスを立てて
きみに何を渡そうか
陽のあたる坂道をのぼったら 静かな呼吸が聞こえる
【1月11日(土) 迫りくるもの】
サークルで取り組んでいるイベントの企画が通りました。
ボケていて大事なミーティングに出られなかったもので、色々心配してましたが、まあとりあえずよかったよかった。
ということで、フェアトレード商品が二週間後くらいから大学生協に並びます。これから必要なチラシやら何やらを作る作業に入ります。
卒論のほうはあまり進んでいないというか、どうまとめるか考えるのが面倒で、放置しています。
さらに研修が立て続けに入っているのであまり気が休まらなそうな今月。
やるべきことは多数あるのに友達と徹夜で六時間くらいぶっつづけで格ゲーやってしまったり。
さて。
「銀杏並木」「陽のあたる坂道」は大学の象徴みたいなもんで、取り組んでいるイベントが催されるメインの場所がまさにその周辺です。
「まっさらのカンバス」はこれから実際的な作業に入っていく前の、現段階の状態。つまり白紙。いや、実際は大雑把に決まっているけれど、私としては白紙も同然と言いたい。
「きみに何を渡そうか」はバレンタインを意味する。バレンタインがキーなのである。
「静かな呼吸」は、植物の呼吸です。植物は、チョコレートの成る木、カカオの木。
世界の遠く離れた場所に、チョコレートを通じて想いを馳せるのもよいでしょう。
27.
十一の出会いと 一つの終わり
掃き捨てられる歴史
降り積もったほこりが いつからか全てになって
歌は止み
本当の沈黙が訪れるだろう
【1月12日(日) 妖精の国】
古書店が閉店セールをやっているというのを聞いて行ってきた。
買ったはいいが読んでいない本、父が持ってきたが手をつけていない本、
たくさんあるけれど、書店が好き、書物が好きなので、ついついまた買ってしまう。
もちろん、順次、全て読んでいくつもりである。
買ってきたのは11冊。うち小説は二冊だけ。
最近というか、昨年あたりからは文化・民族・思想などに関する本が多い。
文化人類学、アイルランドの文学史、アイヌ学、臨床文学論、都市論などなど。
私は「~学」「~論」と名のつくものが好きなのだ。
アイルランドは妖精の伝承が残る、興味深い地域。
急激な経済成長で、口承の物語が失われつつあるらしい。いつか訪れたい。
さて。
「十一」は買ってきた本の数。「一」は閉店する古書店。
閉店後、本は捨てるかもしれないと店の人は言っていた。だから「掃き捨てられる」。
古書⇒歴史、という連想。
「ほこりが全てになる」のは、手に取られることもなくほこりに覆われていく古書。
「歌は止み」というのは、アイルランドの経済成長の一方にある、悲しい現実。
いわゆるケルトとかゲールとか呼ばれるあの辺りの人々は、文字や絵といった視覚的手段より、
歌と音楽を語りの道具として重宝した。それももう、現代では失われていくばかりだ。
「本当の沈黙」は、本が燃やされて灰になることであり、妖精の国(アイルランド)の人々が
歌を歌わなくなること。