2013年 11番目の月 (no.1~5)
1.
海底に腰掛けて 星を見上げる。
綴られた潮の流れが 私を循環する。
帰ってゆきます。
言葉を忘れてはならないと 見知らぬ老人が呟いた。
地に落ちた熱が 穴倉の闇に地平線を描き出す。
【11月24日(日) 全ての始まり】
2013 SHIZUOKA 連詩の会 の発表会に出席しました。
そこで初めて連詩というものを鑑賞しました。
五人の詩人のうち、一人の名前さえ聞いたことがなく、
普段は詩とは無縁の私でしたが、二時間半はあっという間に過ぎ去りました。
出席して、本当によかったと思っている。
連詩の題が 「水際をめぐる車輪」の巻 でしたので、そこから連想し、水のイメージから始めています。
会場に並んだ椅子は、オーストラリアの海を思わせるブルーでした。
(自由席と言われたから最前列中央に座ったのに、そこはダメと言われてしまった。
主催してる新聞社か何かの偉い人の席だったらしい)
単に海ではなく「海底」なのは、客席とステージの対比です。つまり「星」はステージ、
あるいは詩人たちで、私は物理的にも立場的にも「見上げる」側です。
(海底から星を見上げる、というのは非現実的だけど私的にはなかなかロマンチックで気に入っている)
「潮の流れ」は海のイメージを継続して、連詩=言葉の流れ と考えて。
それが私の目に耳に入ってきて、感動させた。
「帰ってゆきます」は、私が家に帰っていくだけです。
くだらないですが、こんなのでも主語を明示しないことで解釈の自由の面白さが出る。
「見知らぬ老人」は、若干誇大されていますが、
私にとっての以前までの「詩」に対するイメージ。
五行目は夕飯の鶏肉と白菜の鍋。
「地に落ちた」のは、鶏肉⇒死んだ鳥類の姿。
「熱」は鍋。あるいは食物から熱を取り出して活動している生物の意にも通じる。
「穴倉」は七畳の我が城で、「地平線を描き出す」というのは
まず、何かの始まりを感じさせるイメージとして。それから「熱」⇒太陽⇒地平線 という連想。
2.
凍える朝が待っている。
鉄(くろがね)の大樹に夢を語り
死ぬことも忘れた。
【11月26日(火) L との帰路】
友人の L と定食屋で夕食を食べました。
L は樹木を研究している。
夜道(最近寒すぎて死にそう)、電柱を樹木に見立てて、私に説明する。
彼は寝不足のようです。寝る⇒死ぬ という連想。
コンクリでも石でもいいけれど鉄と書いて「くろがね」と読ませたいのは、
「くろ」が夜のイメージと一致するからです。
1番の詩から、夜のイメージと、対の言葉として「朝」を引っ張ってきている。
3.
百の言葉は
すでに語り尽くされた。
埋没する不合理を讃えよ。
現実を手探る人々に
全能の苗を握らせるのはいつの日か。
【11月27日(水)~28日(木) 不合理の読了】
一冊の本を読み終わりました。
良いことが書かれており、半分、新しいことが書かれていました。
著者とは同じ方向を向いているようで嬉しいです。
「語り尽くされた」は、読み終わった で、視点を私ではなく著者側にしただけ。
「不合理」はそのまんまタイトルの一部を抜き出し。「埋没する」は前の詩の「死ぬ」の連想。
「称える」という言葉を使ったのは、大袈裟には違いないですが、
なかなか本の内容が面白かったから。
川を上る鮭のようなエネルギーを感じる言葉だと思うからです。
読んだことは、何らかの形で誰かに伝えたいと思います(四、五行目の意図)。
特に、悩める人に。
「全能」は完全な言いすぎですが、ここまでがちょっと神々しいイメージで来てるので。
「苗」は前の詩の「大樹」からの連想。
4.
新しい鈴の音を 僕は見つけた。
青い宝石の指が
傾いた天秤に触れようとしている。
【11月28日(木) 出会い】
私が少し携わっている、まだ新しいサークルがようやく新局面に至ろうとしています。
「鈴の音」は加入者の女の子の名前からで、
「青い宝石」はサークルの名前からの連想です。
「傾いた天秤」は私たちが当面考えてゆくことになった問題、
非対称な取引、つまりフェアトレードを意味しています。
触れようとしている「指」は我々のこと、つまり五人なのです。
5.
ガラス玉をつまみあげ、水面に垂らす人。
落ちていった。不動の泥。
回転を重ねて糸が断ち切れる。
半円の顔の花。
黒く溜まった。ぐるり枯れた頃。
【11月29日(金)~30日(土) 疲労、溜め息】
11月29日、このwebサイトを開設しました。
だけどこの日はそれ以外何も建設的なことをやっておらず、溜め息が出ます。
そのまんまこの二文が詩の一、二行目の意味です。
前の詩の「宝石」から連想した「ガラス玉」はこのwebサイトのこと。
磨けば光るかもしれないし、そうじゃなきゃただのガラス玉で終わるかも。
「水面」は液晶ディスプレイ。この連想は、しずおか連詩の会の『水際をめぐる車輪』の巻
の発句から頂戴しています。詩人 文月悠光(ふづきゆみ)さんの
『手のひらに泉をひろげて、まるく抱く。』
という冒頭部分。これが当日の解説では、水面に映った自分に恋したナルキッソスの神話、
それを電車の中などでスマホを注視している現代人に当てはめたらしい。
つまり「泉」=スマホ っていう解釈ができます。
「不動の泥」は、何もしてない私。
三行目から土曜日です。まず、久々に大嫌いな肉体労働をして足が死にそう。
本当に私は肉体労働向きじゃない。というか労働全般に向いていないのだろうけれど。
「回転」は足の回転。よく動いた。
そして疲労=筋肉の線維がブツブツ切れる みたいに聞いたことがあるけどどうなんでしょう?
「半円」は駄洒落です。「花」は巻き寿司。スーパーで半額になってた。それだけ。
とはいえ今回は「ガラス玉」「回転」と丸のイメージで来てるので、この駄洒落はその意味もある。
「枯れた」は、巻き寿司を食べ終わった ということ。
「黒く溜まった」は残った醤油。これがなんだか勿体無くて、妙に強烈に印象に残っている。
創作した連詩について
下に行くほど最新のものです。
作った順に通し番号が振られています。
詩の解説はグレーで表示しています。